結婚式スピーチ「復讐」が「練習」源

 結婚式スピーチマスターを名乗らせていただいております。

 「スピーチ」を依頼された時の感慨。
 「披露宴」で友人からの好奇な目。
 「スピーチ」終了後一瞬の間そして拍手と喝采。

 御陰様でこれを綴りながら、思い出すことが様々あります。

 私がこうして今、皆様とお会いすることが出来るのも「スピーチ」のおかげです。
 感謝してやまない「スピーチ」ですが始めから仲が良かった訳ではありません。

 「スピーチ」しなくてはならない場面を憎み、「嘲る」であろう人々を恨んだ。

 「どもる」メカニズムは本当に不可思議です。
 ふと、スラスラ言えたりもする。
 しかし「肝心」の場面で一度つかえると泥沼に嵌まるのです。

 焦ってはいけない。
 しかし、そう思えば尚更焦りだす。

 成人する以前に、私はある発見をしていました。
 一人だけで落ち着けと自分に言い聞かせ「セリフ」を発すると不思議と閊えない。
 ゆっくり噛締めるように言葉を続けることが出来る。

 深夜の部屋を煌煌と照らす蛍光灯の下。
 何度そこが「本番」会場ならと思ったことか。

 この調子で大勢を前に「スピーチ」をするということ。

 私は、この「練習」時の感覚を体に染込ませるしかないと思った。
 ゆっくりと噛締めて焦らず話す。
 その「感覚」を何度も確認しようともがいた。
 しかし自信も湧かなければ「感覚」もつかめない。

 胆力しかないと思った。

 若いせいもあったのかもしれませんけれど、「胆力」を身につけようとすると。
 何だか莫迦らしくもなり同時に何か黒々とした思いが腹に溜まるのを感じた。
 小心な私が「何だこんなもの」とすべてが憎々しげに思えてきた。

 「この野郎」と思うと落着けるような気がした。
 「どうにでもなれ」と開き直ると却って焦りが遠のいて思える。

 「ふざけるな」と声に出すと、どこか軽くなる。

 どこかに溜まっていたものを吐き出しただけなのかもしれない。
 しかし、思い切り「復讐心」を曝け出した後は気持ちが楽になる。
 喧嘩した後の清々しさに似たものか。

 腹に力を入れてわざとゆっくり声を出す。
 怒りを搾り出すようにしても別に一人で興奮するわけではない。
 だから声も上ずらない。

 これが私の「練習」のきっかけでした。
 「弱気」な私が、自分一人の時だけ「復讐」に燃えたのですよ。

 これが何かを吹切らせたことは確かな気がします。

 やり方は人それぞれなのですが、「吹切る」つまり「開き直る」ことは有効です。
 人知れず「畜生」と無害な八つ当たりをして気を静めるのも一方法と思うのです。
 それを「練習」のエネルギーに変換する。

 「落着く」なら「怒る」ことも必要かと思うのですがね。
 勿論、意識の問題です。
 「落着く」ための便法です。
 アドバイスになりましたかね。

 それでは、本日はこのへんで。
 また、お会いしましょう。
 
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